「ガルガル期」という言葉をご存知ですか?産後、ホルモンバランスの変化や赤ちゃんを守るという母親の本能から、夫や実母などの自分以外の人が赤ちゃんに触れたりするのに嫌悪感が湧いたり、攻撃的になったりしてしまうことを指す言葉です。今回は、産後のガルガル期を乗り越えるために筆者が実践したことをご紹介します。
妊娠中に「ガルガル期」という言葉を知って…
妊娠中、出産レポートや育児漫画などをよく読んでいた筆者は、その中で「ガルガル期」という言葉を知りました。ガルガル期があるのは、産後のホルモンの影響や人間としての本能によるものなので仕方ない、というように書かれていましたが、『ガルガル期=赤ちゃんの世話を誰にも頼れなくなる』ということであれば、できるだけ早く、その期間を乗り越えたいと思っていました。
ガルガル期を乗り越えたい、その奥にある気持ち
筆者が、ガルガル期を恐れていた理由は「周りの人に赤ちゃんのお世話を頼れなくなるから」だけではありません。最大の理由は、「子を自分だけのものだと思ってしまうのが怖い」というものでした。
子にとって母親は自分だけであったとしても、保護者は自分だけではありません。自分だけが育てるわけではなく、たくさんの人に支えられ愛されて育ってほしい、と強く思っていました。その気持ちの奥底には、「母親の思想や価値観に縛られることなく、自由に生きてほしい」という思いがありました。
他の人に赤ちゃんのお世話をさせないことで、いつしか「自分のお世話のやり方が一番正しい」と思ってしまいそうで、また、それを強要してしまいそうで怖かったのです。
子にとって母親は自分だけであったとしても、保護者は自分だけではありません。自分だけが育てるわけではなく、たくさんの人に支えられ愛されて育ってほしい、と強く思っていました。その気持ちの奥底には、「母親の思想や価値観に縛られることなく、自由に生きてほしい」という思いがありました。
他の人に赤ちゃんのお世話をさせないことで、いつしか「自分のお世話のやり方が一番正しい」と思ってしまいそうで、また、それを強要してしまいそうで怖かったのです。
産後のガルガル期の自分に向けて、妊娠中に実践したこと
筆者は妊娠するまで、自分はストレスに強いほうだと思っていました。しかし、妊娠中は気分の浮き沈みがあり、「ホルモンの影響には抗えない」ということを身をもって感じていました。
また、自分がストレスに強いというのも思い込みだったのかもしれない…とも思うほど、自分の気持ちのコントロールに苦戦するようになっていました。そのため、産後にも同じように「たくさんの人に支えられ愛されてほしい」などと考えられる自信はありませんでした。
そこで、産後の自分に向けて、目に見える形にして、自分の思いを記録することにしました。下の文章は、実際に筆者が記録していたメモです。
そこで、産後の自分に向けて、目に見える形にして、自分の思いを記録することにしました。下の文章は、実際に筆者が記録していたメモです。
『私だけが育てるんじゃないんだから、一人で全部しようと思わないで、皆にたくさん支えてもらえるように、赤ちゃんを大切にしてもらえるように、そのためにがんばろう!』
産後の自分の気持ちはどうだったか?
あれこれと考えているうちに時間は過ぎ、出産を迎え、新生児のお世話が始まりました。筆者が出産した当時はコロナ禍であったため、立ち会い出産も入院中の面会も出来ませんでした。そのため、退院してはじめて、家族が赤ちゃんに触れることになりました。
実際、夫や母などが赤ちゃんを抱っこしているときは、嫌悪感は湧きませんでした。ただ、おむつを替えたり、あやしたりする姿を見ているときに、「もっと丁寧に拭いてほしい」「そんなに大きな声を出さないでほしい」などと思うこともありました。
そんな時には、産前のメモを読み返し、「こう思うのは、赤ちゃんの安全のためなのか?それとも、自分のこだわりなだけか?」と、立ち止まって考えることを心がけました。そして、赤ちゃんの安全のためであれば感情的にならないように理由と一緒に伝え、自分のこだわりなだけであれば黙って見守ることに決めました。
そうすることで、「支えてもらって、赤ちゃんを育てている」と感じることができました。
実際、夫や母などが赤ちゃんを抱っこしているときは、嫌悪感は湧きませんでした。ただ、おむつを替えたり、あやしたりする姿を見ているときに、「もっと丁寧に拭いてほしい」「そんなに大きな声を出さないでほしい」などと思うこともありました。
そんな時には、産前のメモを読み返し、「こう思うのは、赤ちゃんの安全のためなのか?それとも、自分のこだわりなだけか?」と、立ち止まって考えることを心がけました。そして、赤ちゃんの安全のためであれば感情的にならないように理由と一緒に伝え、自分のこだわりなだけであれば黙って見守ることに決めました。
そうすることで、「支えてもらって、赤ちゃんを育てている」と感じることができました。