2024年4月11日 更新

【経験談】あなたは知っていますか?アルコール依存症の実態

楽しく美味しく適量を飲むのであれば、問題ないお酒。しかし、これが『アルコール依存症』となると話は別。今回、実際にアルコール依存症者を家族に持つ筆者が、患者目線・家族目線でその実態をお話しします。

【精神病院へ入院】

幾つかの病気を患い、それに伴う手術を数回繰り返した祖父ですが、入院期間中に病院を抜け出しては酒を飲み、医師や看護師さんに暴言を吐いたりで、最終的には強制退院。これを機に、医師からの勧めで精神病院へ約10年間入院することに。

精神病院では普通の病院とは違い、患者が簡単に外へ行き来することができないため、こっそり抜け出してお酒を買いにいく…ということもなく、見事に断酒。お酒を飲まなければ、至って普通なため模範生として扱われ、度々面会許可をもらったり、たまに外出許可を得て自宅で過ごす日もありました。

しかし、10年という長い期間断酒出来ていたのにも関わらず、いざ退院となったその日からお酒に溺れる日へ逆戻り。

図書館に行ったかと思えば、帰りにお酒をひっかけ、近所の橋の上で泥酔の末に爆睡。通りかかった通行人により警察へ通報され、保護。パトカーの中で目を覚ました祖父は、警察官に暴言を吐き、殴り掛かろうとしたりで、後日祖母は警察署へ謝罪に出向いていました。

他にも、駅の待合室でお酒を飲んで寝てしまい、駅員さんから自宅へ連絡が来たことも1度や2度では済まず…。更に、祖母から飲んでいることを咎められ、それに腹を立てて祖母へ暴力を振るう…など、飲酒にまつわる問題行動は、ここでは書ききれないほどです。

この頃、筆者は小学校3~4年生。たまたま祖父宅に居た時、余りに手が付けられなくなった祖父に対し、本人のため、そして祖母のためにも再入院させることを祖母に説得。病院へ連絡し、直ぐに男性看護師2人が迎えにやって来たものの、入院することを嫌がった祖父は、トイレに1時間近く立てこもる始末。

最終的には観念して病院へと行ったのですが、その後も数年に渡り、幾度となく精神病院への入退院を繰り返すことになりました。

【祖父の晩年】

70代に入るまで、やはり時折飲むことはありましたが、この頃になると飲酒による問題行動はなくなっていました。年齢的に、問題行動を起こせるほどの量を飲むことができなくなったからです。飲酒量が激的に減ったこともあり、祖母も祖父の飲酒に関して、以前のようにとやかく言うこともなくなっていました。

70代を迎えて、癌を患い手術をした後は、老いたことで外に出掛けてまでお酒を買いに行く…という意欲も体力も無くなり、亡くなるまでの6~7年間は飲むことすらなく過ごし、生涯を終えました。

【消えないわだかまり】

筆者の母(祖父の娘)は、家族の中で誰よりも祖父を嫌っていました。小さい頃から、祖父のせいで祖母が金銭的・社会的・精神的にも苦労させられたこと、そしてその影響はもちろん母たちにも(母は2人兄妹)及んだからです。

特に、高校卒業後上京した兄に代わって地元に残り、何かあった時には常に祖母の元へと駆け付けて、祖母を支えていた母にとって、祖父への憎しみは相当のものだったと思われます。

連日泥酔して帰って来た祖父に、ある日堪忍袋の緒が切れた母が足蹴りをした…というエピソードや、祖父が脳神経系の手術をした際、医師から『生きて目を覚ましたらラッキー。もし目を覚ましても、植物人間になる可能性が非常に高い』と告げられた時、付き添っていた祖母と母は、『正直、このまま目を覚まさないでくれていい…』と本気で思ったそうです。

祖父と母との間では、会話は必要最低限。普段は挨拶程度で、親子の会話など皆無に等しく、接触もなるべく避けていました。

筆者は大のおばあちゃん子ということもあって、幼少期から大人になって地元を離れるまでの間、その多くの時間を祖母と過ごしてきました。そのため、必然的に祖父の飲酒問題を目の当たりにする機会も多く、祖母や母たちの苦労の一部を筆者自身も経験しました。
祖父の葬儀は、たった6人での小さな家族葬でしたが、祖父の実の妹以外、誰ひとりとして涙を流す者はいませんでした。こんなことを言ったら酷い家族だと思われるかもしれませんが、亡くなった時は正直ホッとした自分たちがいたのです。

【経験談】主人のアルコール依存症

【見過ごしていたサイン】

アルコール依存症だった祖父を持つ筆者。その筆者が結婚した主人も、またアルコール依存症者のひとりです。

主人の飲酒に関しては、付き合い始めて直ぐの段階で「かなり飲む人だな」とは思っていました。しかし、主人の友人・同僚たちも、主人同様かなりのお酒を飲んでいたので、「アメリカ人ってこのくらい飲むものなんだろうな…」と、そこまで気に留めていませんでした。

ちなみに、この当時の普段の飲酒量は、酎ハイ(ロング缶・9%)2本+ウィスキー(180ml)が定番。また、これがハードリカーのテキーラやウォッカなどになると、一晩で丸1本(750ml)簡単に空けていました。

今となって振り返れば、アルコール依存症の予兆サイン(飲酒問題行動)があったにも関わらず、その当時は「よくある単なる飲みすぎ」と、見過ごしてしまっていました。

依存症の予兆サインを見過ごしていた理由として、主人の友人・同僚たちも、何かしら飲酒に関する失敗やトラブルを起こしており、その話を主人からよく聞いていたこと。また、交際当時の主人は20代前半と若く、はちゃめちゃな性格のアメリカ人らしい飲み方と言えば、それで納得してしまう自分がいたのです。

当時の飲酒問題行動は、以下のようなものでした。

・トイレではなく、玄関やテレビ台に向かって…また、クローゼットの中で用を足そうとしたことがある(本人の記憶なし)
・就寝中の失禁(本人の記憶なし)
・酔って駅構内で寝てしまい、終電を逃す
・手持ちのお金がなくなると、筆者の財布からお金(千円程度)を勝手に取り、お酒を買いに行く
・知り合いのお店で飲み過ぎ、泥酔の末嘔吐。その後、しばらくの間出入り禁止になる
・歩けない程に泥酔し、独身寮に戻る際、介助しに来た所属機関の人に殴り掛かろうとした(本人の記憶なし)

【嘘の連続】

結婚後、本格的に一緒に生活し始めてからは、嘘を付いては飲みに出掛ける日々の連続でした。

ある日の休日、「急遽仕事のトレーニングで、朝まで帰って来れない」と言って、その日の昼過ぎ外出。翌日の昼間帰ってきた主人は、目はうつろでろくに話もできず、お酒の匂いがぷんぷん。出掛ける際には、トレーニングと言った手前、制服を着て出掛け、途中で私服を買って飲み歩き、帰宅前に駅のトイレで制服を着て帰宅してきました。

「同僚友達と映画に行く」と出掛けて行き、夜戻ってきた主人の手首には、クラブの入店リストバンドが。映画など見ておらず、最初からクラブに行くのが目的でした。

夕食後、「食べ過ぎたから、ちょっとそこら辺を(自転車で)回って来る」と言って、2時間経っても戻って来ず。気になって電話をすると「困ってる人を助けてた…もう帰り着くから」と言ってから、更に1時間が経っても戻らず。やっと帰って来た主人は千鳥足、立っていても体が前後左右にゆらゆら…そして、服はタバコ臭。近所の居酒屋で楽しんでいました。

「近くの某ハンバーガーチェーン店に行く」と言って出掛け、帰って来たのはその6時間後の真夜中。

これらは数ある嘘の中の、ほんの一部。初めて仕事を理由に外出・外泊した時は、聞かされた瞬間こそ信じましたが、帰宅した主人の姿を見て、嘘であるのは一発で分かりました。しかし、筆者が咎めなかったこともあり、その後も何度かこの手は使っていました。
筆者は、交際当初から主人がやることに関して、基本口は出さないスタンス。友人たちと出掛けるのも、飲みに行くのもご自由に…でしたが、結婚後は以前にも増して、休みの度に飲み歩き始め、その都度泥酔状態で帰宅。

結婚後、最初の数ヶ月は様子を見るため黙認していましたが、どんどんエスカレートする主人に「いくら何でも度を超えているし、嘘を付くのはとにかくやめて欲しい」と話をしましたが全く改善されず。この当時は飲酒問題よりも、嘘を付かれることに強い怒りを覚えた筆者は、幾度となく離婚を持ち出したのも事実です。しかし、主人は絶対に首を縦には振りませんでした。

これは後日談になりますが、当時を振り返った主人によると、嘘に関しては『遊びたい…飲みに行きたい。遊びに行ったりするのがOKと分かっていても、何となく後ろめたいから嘘を付く。そして、(筆者が)何も言わないから、嘘はバレてないと思ってた…』そうです。バレていたことが判った後も、それまでの悪い癖で、つい嘘を付き続けてしまった…とも言っていました。

アメリカ異動でついに…

日本勤務の延長リクエストを出していたものの、アメリカ異動が決定。戻りたくなかったアメリカ生活がスタートすると、主人の飲酒に拍車が掛かるようになりました。

時間も場所も選ばず、とにかく飲む。休日の飲み方は、最終的には歩行不可能な状態になり、這ってトイレや寝室へ行く有り様。前日の記憶は当然ナシ。体には常にアルコールが残っている状態で、また次のお酒を飲む日々。

飲酒運転が当たり前になり、遂には仕事に出掛ける前に、ショット感覚で少しお酒を飲んで仕事へ行くように。何か言えば隠れて飲み、「気を付けるようにする」…と、口先だけのその場しのぎの言葉を口にし、何も改善されず。

そんなある日、「同僚の1人からお酒のことを指摘された…。でも、努力して必ず改善することを伝え、謝罪もして分かってもらった」という話を聞かされた筆者。この瞬間思ったのは「職場でトラブルになるのは時間の問題だな」…と。そして、そのことは主人にもハッキリと伝えました。

が…それからも、主人のお酒は殆ど改善されることなく数ヶ月が経過。ある日、仕事に向かう前の主人に、上司から電話が。飲酒問題を最初に指摘した同僚が、見兼ねて上司に報告したことで、大問題に発展したのです。問題になったことで、仕事中に他の同僚と共に飲酒を繰り返していたことも、主人から聞かされました。

主人は、とある政府機関の連邦警察官。犯罪防止・取締り・治安維持に携わる人間がこれでは示しが付かないのは言うまでもありません。

これは少し余談になりますが、あくまで主人の所属する機関の警察官たちは、実は飲酒問題を大なり小なり抱えている人が多くいます。警察官なのに?…と驚かれるかもしれませんが、激務であると同時に、時に命の危険に晒されたり、同僚の死を経験したりすることも多く、ストレスが原因で飲酒に走ってしまう人多いようです。

主人に待っていた処罰は、クビこそ免れたものの、その次に重い処罰でした。
1.降格処分
2.2ヶ月間、給料1/2
3.リハビリ施設で5週間のリハビリ(入院)*
4.奉仕作業45日間

*所属機関自体にリハビリ施設があり、飲酒問題のレベルで通院か入院かが決められ、主人は重症ということで入院でした。

上記が受けた処罰の全てです。降格処分を受けたことで、給料がこれまでより減った上に、2ヶ月間は半分。貯金も無かったため、何とか乗り切れるだけのお金を借り入れ、この2ヶ月間を経済的には乗り切りました。

5週間のリハビリ中は、当然断酒していた主人でしたが、リハビリを終えたその日にまた飲酒再開。リハビリ施設を退院後2~3ヶ月は、AAミーティングにたまに行っていましたが、主人には合っていなかったらしく、行くことで物凄く気分が落ち込み、かえって飲みたくなる…と、行くのをやめました。

トラブルになったことで唯一改善したのは、仕事前に飲む・仕事中に飲むことだけは一切しなくなりました。というのも、今後飲酒関連で問題を起こした場合クビになるため、そこだけは守るようになったのです。
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この記事のライター

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