2021年1月17日 更新

【雑学】えっ、違うの!?日本と欧米のバレンタイン事情

大切なあの人にチョコレートと共に自分の想いを伝える2月14日の「バレンタインデー」!子供から大人まで、誰しもが知っているこのイベントですが、実は日本のバレンタインは独特のスタイルであることをご存じでしたか?今回は、バレンタインの由来から、欧米のバレンタイン事情をご紹介していきます!

バレンタインデーの"意外な"由来

バレンタインの由来は、ローマ帝国時代にまで遡ります。3世紀当時のローマ帝国皇帝・クラウディウス2世が、軍事士気の低下を懸念して兵士の結婚を禁止。

しかし、キリスト教の司祭・ウァレンティヌス(バレンタイン)は皇帝の命令に背き、兵士たちの結婚式を密かに執り行っていたのです。そのことが皇帝の耳に入り警告を受けるも、自身の信念を曲げず、最終的に2月14日処刑されました。

後に、ウァレンティヌス司祭は、愛の守護聖人として崇められるようになり、2月14日を『聖バレンタインデー』として祝うようになったのです。

日本のバレンタインは独自のもの!

バレンタインと言えば、『女性が男性にチョコレートを贈り、愛を告白する日』と答えますよね?でも、これって…実は日本独自のバレンタイン文化なんです!
欧米でも、もちろんチョコレートを贈る習慣はあるのですが、チョコは主役ではなく、あくまでオマケ的存在で、更に『男性が女性へ』贈ります。

日本のバレンタイン文化のルーツは?

日本のバレンタイン文化の起源は諸説あり、明確なものがありませんが、以下の4説が挙げられています。

【神戸モロゾフ製菓説】
・1935年(昭和10年)2月13日に"神戸モロゾフ製菓"(現モロゾフ)が、外国人向けの英字新聞ジャパンアドバタイザーに『あなたのバレンタイン(愛しい方)にモロゾフのファンシー・ボックス・チョコレートを差し上げましょう』と掲載したのがきっかけ説。

「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」ということを米国人の友人から知った創業者が、この習慣を日本にも広めたいと考えたのがきっかけで、広告掲載よりも数年前の1932年(昭和7年)、日本で初『バレンタインにチョコレートを贈る』というスタイルを提案したそうです。

参照:http://www.morozoff.co.jp/company_ir/news_release/pdf/release_190110_02.pdf
掲載したバレンタインの広告(左)・戦前に発売されたファ...

掲載したバレンタインの広告(左)・戦前に発売されたファンシーチョコレート(右)

【メリーチョコレートカムパニー説】
・1958年(昭和33年)にメリーチョコレートカムパニーが、伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」という手書きの看板を出し、バレンタインキャンペーンを行ったのがきっかけ説。

とは言ったものの、この3日間(2/12~2/14)のキャンペーンでは、50円の板チョコ3枚・20円のメッセージカードが1枚、計170円の売り上げという、残念な結果に終わっていたのでした。しかし、これでめげることなく、翌年1959年(昭和34年)にハート型のチョコに、贈り手(From)と相手の名前(To)を入れるサインチョコを発売したところ、これがヒット!

戦後、女性の新しいライフスタイルが見直され始めた当時、巷では女性週刊誌の創刊が相次いでいました。メリー社はこの流れに乗り、『女性が男性に1年に1度愛の告白ができる日』というキャッチコピーを生み出し、多くの女性の心を掴んだそうです。

参照:https://www.mary.co.jp/mary/brandstory/valentine.html
メリーチョコ:当時の斬新なハート型チョコのアイディア

メリーチョコ:当時の斬新なハート型チョコのアイディア

【森永製菓説】
・1960年(昭和35年)に、森永製菓がバレンタインデーをメディアで宣伝したことをきっかけに、バレンタインデーが日本に普及するきっかけとなった説。

参照:https://www.morinaga.co.jp/company/about/history02.html
森永製菓:バレンタインデーの普及活動

森永製菓:バレンタインデーの普及活動

【ソニープラザ説】
・1968年(昭和43年)輸入雑貨専門店のソニープラザが、チョコレートを贈る習慣を流行らせようと試み、このことから「日本のバレンタインデーはうちが作った」と、創業者の盛田昭夫氏は公言しています。
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